はんこの歴史館 |
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はんこ(印)の歴史館にようこそ。印の伝来は中国からではなく、イラクからでした。
印の発祥は紀元前7000年以上までさかのぼり、メソポタミア(現在のイラクの一部。チグリス川・ユーフラテス川の間)で使用されたのが起源とされています。
はんこ制度は、元来西洋から伝わった制度で、旧約聖書の中にも実印や認印のくだりが40箇所程散見されています。
日本に伝わったのは、約2300年前(中国の後漢時代)に紙が発明され、書物への捺印の習慣があらわれ、日本に渡り伝わりました。
王義之の「蘭亭序」
王義之(おうぎし)は、307~365年頃の中国の晋の政治家。蘭亭序(らんていじょ)は、王義之が書いた書道史上最も有名な書作品です。当時の印章が捺印されています。
日本では、1784年に発見された「漢倭奴国王の金印」が最古のものとして有名です。この金印は、後漢の光武帝時代に倭奴国(日本)に贈られたものでした。当時、印鑑の文化は一部の人々のもので、一般の人々は持つことが許されませんでした。
漢倭奴国王印・・・現在の福岡県福岡市東区志賀島で発掘。約23㎜角(平均)、金95%でできた純金製角印です。
平安時代になると、「手形印」として掌に朱肉を着け押し、その制度は江戸時代まで使用されました。
平安時代後期になると、武将の顔文・起請文や遺言状などに花押が現れました。
徳川家康の花押 | 上杉謙信の花押 | 豊臣秀吉の花押 |
花押(かおう)・・・署名を極端に形容化し図案化した、署名の代わりに使われた記号・符号。鎌倉時代からは版刻したものに墨をつけて押印する花押型が広く使用されるようになる。「押」という字には署名するという意味があり、「美しく署名したもの」という意味があると言われています。
江戸時代には花押を「判」と言い、私印が広く使われるようになってから区別をするために、花押を書判と言い、印章のことを印判と言うようになった説が有力視されています。
古来より、文章の内容を証明する手段は自筆と花押と印判がありますが、実際に作成する際は佑筆や書記に代筆させていましたが、偽筆の技術が発達するにつれて字を崩すようになり、独自のサインとして花押が利用されるようになり、一国一城の武士階級に多く見られ、鎌倉~室町時代に隆盛期を迎えました。
一般的に使用されるようになったのは、明治6年10月1日に明治新政府が太政官布告(太政官によって公布された法令)を行った際、「本人が自書して実印を押すべし 自書の出来ないものは代筆させてもよいが 本人の実印を押すべし」と定め、これを記念として、10月1日は「印章記念日」と定められています。